町おこしプロジェクト ウラ長瀞 #2 vol:2「渋沢栄一と長瀞町」

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2024年から一万円札の顔になる日本資本主義の父「渋沢栄一」。長瀞町も渋沢栄一と繋がりが強いことはご存知でしょうか?今回のウラ長瀞は役場で文化財関係のお仕事をしてきた小澤さんにお話しを伺いました。長瀞の歴史や秩父地方の祭りなどの伝統文化をご紹介します。


「渋沢栄一と長瀞町」VOL:1はこちらから


「長瀞は天下の勝地」

秩父鉄道の長瀞駅を降りてすぐに、こちらの石碑が建てられています。観光客の方は気付かない方も多いかもしれません。これは渋沢栄一が88歳の時に残した書です。

「すばらしい景色にはきまった持ち主などないのであるから、好きなだけ眺めて楽しめばよい。」


という意味になります。渋沢栄一は多くの事業に関わり、その疲れを長瀞の自然で癒し日本の基盤を築いていきました。


小澤さん:「これが石碑として有名かもですが、[長瀞は天下の勝地]と[寶登山は千古の霊場]、実は二つで一つです。二つの掛け軸になって今は宝登山神社にしまわられています。あまり知られていません。」 


小澤さん:「宝登山神社の入口近くにある有隣倶楽部の名前にも渋沢が関わっています。元々は論語から[徳不孤必有隣] 、徳のある人には必ず賛同する人がいるよということです。そこから名前がきています。理に従えばすなわち豊かなり、欲に従えばこれ危うし。これは金を儲けるにしても道理をわきまえてお金を稼げよい、ということです。渋沢栄一自筆の額が有隣倶楽部にあります。入ってすぐの部屋でお土産を売っているところの上にかけています。なのでみんなお土産しか見ないので、こんなところにあったの?という感じです。町内の人も宴会があったりでおそらく必ず行ったことがあるお店なんですけど誰も知らなかったりします。」


「荒川沿いにある旅館、養浩亭の名前も渋沢が関わっています。(浩然の気を養う)という孟子の言葉を引用しています。大正時代から続く老舗店です。渋沢はけっこう長瀞に足跡を残しています。

渋沢栄一ではないですが渋沢の本家渋沢惣助は、宝登山神社が江戸末ぐらいに本殿を建て替えるんですけどその時に本殿の柱を2本奉納しています。柱の裏側に名前が刻まれています。長瀞はすごく渋沢と繋がりがあるんです。」


「この石碑を作るために関わった人たち」

「長瀞は天下の勝地」この石碑を建てるために関わった協賛者芳名を見させていただきました。多くの企業と個人によって渋沢栄一の石碑が長瀞に建てられました。

小澤さん:「協賛者芳名を見るといかに渋沢が秩父で活躍されたかが分かります。石碑を建てるためにお金を出した人の名簿です。秩父鉄道や東武鉄道なんかも入っているんです。渋沢は若い頃に慶喜の弟とパリ万博博覧会に行ってます。その時にヨーロッパのコンクリートで固められた建物を見て、これから日本の町にもコンクリートのビルができるんだと思ったんだと思います。それにはセメントが必要だということで、秩父鉄道に秩父の奥まで線路を伸ばすべきだとお金を貸したりしてるんです。セメントを東京に運ぶためにです。」


個人でも錚々たるメンバーが関わっています。

小澤さん:「金子元春さんは医者ですが、最近亡くなられた俳人の金子兜太さんの親父さんです。近代俳句の神様みたいな人です。建設委員の塩谷俊太郎さんは宝登山神社の郡司をやっていた人で、ものすごいアイデアマンでした。長瀞を観光地として売るためにいろんなことをやった人です。長瀞の観光協会の会長もつとめるなど、宝登山神社は観光とすごく深い関係があります。面白いところでは「はげあたま大会」とかもやってます。フランスからお客様がきたり、東京からは皇族を遠足で長瀞に連れてきたり本当にすごい人です。面白い人だと、落合芳三郎さんは長瀞の野上にある眼医者です。白内障の手術で腕がよく全国から多くの患者が来ました。北は樺太、南は沖縄まで「野上の眼医者に行けば目が見える」と噂になるブラックジャックのようなカリスマ眼医者だった。野上駅に電車が到着すると、患者の行列が駅から落合医院まで続いたと言われてます。」


「渋沢栄一から得られるヒント」

渋沢が生きていた時代のように、大きく世界が今変わろうとしています。時代は繰り返す。歴史に詳しい小澤さんは、この先どんな時代になると考えているか聞いてみました。

小澤さん:「例えば20年で浮き沈みがあって、ずっとうまくいく業種なんかないですよね。とくに最近では観光業界は外国人のインバウンド集客を目指したがコロナで全てがなくなった。天国と地獄、バブル経験者はどこかでわかってるんですよ。今が良くても何年も続くことはない。それを歴史からみたらわかるのに、何もできないのが人間の弱いところ。あの時こうだったからこうすればいいと考えるのは少数しかいない。災害や戦争、何が起こるか分からない。そこまで考えないといけないけどできない。人間の悲しさでもありますよね。」


バブルの頃は信じられないことがたくさん起こったと小澤さんは言いました。すぐ先の交差点まで行ってくれ、と一万円をくれる時代。株価も四万円近くまで上がったそうです。平成生まれの自分たちが知らない時代です。

小澤さん:「長瀞の人たちもゴルフ場の会員券を買ったりしました。長瀞のゴルフクラブの会員券は何百万円もした。バブルがはじけて0がひとつなくなる、でも売ったら損だし、そうしてたらゴルフ場が潰れたり。そんな時代があった。政府の人は景気が良くなったと言いますがバブルと今の景気の良さは質が違う、バブルの頃はみんながよかった。最近景気が良いのは都会の大企業のみ、一部だけが良い。長瀞町はバブルがはじけてからずっと不景気です。景気が良いとTVでは聞くが、僕が感じるのはどこの話なの?という感覚。今はその景気が悪いなかで新型コロナウィルスでさらに景気は悪くなった。」


これからの10年、どうかわりそうですか?

小澤さん:「まず10年じゃ良くならない、どんどん悪くなるんじゃないですか?まず正規雇用が減っているじゃないですか、例えば不妊治療に補助金を出すと言っても経済的な理由で結婚できない人が多い。結局安定した収入がないから、ある程度いいお金をもらっても来年のことは分からない。企業はうまみをかみしめた。正規社員をとって労働組合と喧嘩しながら賃金あげたりやってたけど、今は派遣やアルバイトが多い。文句があるなら契約更新しない。それで済みます。人材を育てるのではなく、火事場泥棒で儲けるような会社が多いと感じます。渋沢栄一のように、もっとあたたかい経営をしないと日本の社会が良くなることは難しい。人形の件もそう。結果渋沢の努力は報われなかったが、日本のためにアメリカとの仲をどうにかしようとした。渋谷や経済人はアメリカに勝てないと分かっていた。普通に考えたら勝てるはずないのに常識的な考えが表に出せなかったのでしょう。それでもやり遂げることはすごい。だから今、渋沢栄一のような人を時代は待ってるのかもしれないです。」



今回お話を聞かせて頂いた小澤さんは、文化財に詳しく秩父地方のお祭りや伝統行事に詳しい方です。これからも長瀞のお祭りや文化など色々な情報を聞いてご紹介していきます。

小澤さんが「人間は弱い」とおっしゃていて、気付かされたことがありました。どこかでわかってるのにやってしまう。歴史や過去を振り返れば予測できることは多いです。しかしそれをできるのはほんの一部の人。渋沢栄一の考えは今の時代に必要だと感じます。町おこしで何が自分にできるのか?より深く考えるきっかけになりました。



清水 勇多

ご覧頂きありがとうございました。長瀞町(ながとろまち)の町おこしプロジェクトは2つございます。「ウラ長瀞」と「WITH RIVER」を展開しています。日々の活動などinstagramで発信しています、フォローやシェアも大歓迎です。自然豊かな町、長瀞町(ながとろまち)にぜひお越しください。

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